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玉浦西地区

「玉浦(たまうら)」とは

  • 岩沼市の東部一帯は、1955年に岩沼町と合併し、「岩沼市」となる以前は、「玉浦村」という村でした。玉浦とは、美しい海辺という意味で、「玉浦小学校」や「玉浦中学校」など、現在もその名を残しています。周囲には高地がないため、田畑をつくるのに適しており、古くから、米をはじめとする様々な作物の栽培地として知られています。

防災集団移転地「玉浦西(たまうらにし)」について

ふるさと「玉浦」の再生の願いをこめて、東部地区の小中学校や公民館などが集まるエリアに隣接する場所に造成されたのが防災集団移転地「玉浦西」です。被災した6地区(相野釜、藤曽根、二野倉、長谷釜、蒲崎、新浜)が1つに集まるコンパクトシティを実現。約20haの広さに災害公営住宅や再建した戸建て住宅が立ち並びます。

防災集団移転の方針・計画づくりから各地配置及び公共整備方針、まちづくりのルールなどについて、住民や有識者等からなる玉浦西地区まちづくり検討委員会を開き、ワークショップ形式により、移転者が主体となり、計28回の検討を重ねました。

造成工事が始まったのは2012年8月、2013年12月に第1期、2014年3月に第2期、2014年4月に第3期の宅地引渡しが行われ、2015年2月に災害公営住宅鍵引渡しとなりました。

集会所や新しい商業施設が順次整備され、2015年7月19日には、住民が主体となって「玉浦西 まち開き」を開催。これまでの支援への感謝と新しいまちづくりへの決意を新たに、コミュニティー再生に向けた取組みが続けられています。


関連資料

『玉浦西のあゆみ~想いは未来へ~』(2015年7月、岩沼市)
  PDFファイル(10232KB)

詳細リンク

復興整備事業について(岩沼市)